岡田准一が離ればなれれの父親について語った思い

岡田准一が今は離ればなれになった父について口を開きました。そして若くして入ったジャニーズも今では父親役をやることもあったりして、「父親」について語る機会も増えたりしたんですね。岡田は父親についてどんな事を語ったのかをお届けしますね。

岡田准一の父親はハーフなの?

岡田准一の顔立ちがはっきりした美形ということで父親が外国人ではないか?という噂もチラホラ出ていましたが、2008年にバラエティ番組「おしゃれイズム」で
上田(くりーむしちゅー):いやーかっこいいよね。いい意味で日本人離れしてるというか
藤木直人:くっきりとした顔をしてますよね
上田:彫深いしねー。
岡田:そうですね。よく間違えられますけどね。
上田:あの・・・外国人の・・・
岡田:血がはいってんじゃないか
上田:そうなんですか?
岡田:入ってないです。かずおとよしえの息子ですから(笑)

と話していたんですね。なので岡田准一の父親は「かずお」という日本人なのでハーフではありません。

おしゃれイズム画像1

小2の時に両親が離婚

2014年に出演した映画「永遠の0」や、大河ドラマ「軍師官兵衛」でも父親役を演じたりしたことで雑誌のインタビューで父親について口を開きました。

(前略)父親役が続く岡田に、本誌がインタビューをすると、真っ直ぐな目でこう話し始めた。「父親が近くにいなかったので、自分がどんな男になりたいかということをずっと考えて生きてきました」(岡田・以下「」内同)
大阪に生まれた岡田、両親が離婚したのは小学2年生の時だった。その時のことを岡田自身がこう振り返る。
「なんか家族で会議をしていて、のぞいてみたら“のぞくな”って言われた絵と、親父が歩いてって“じゃあな”って言って出て行った絵だけがしっかり焼きついていて。それを鮮明に覚えている」
その後、ピアノ教師をしている母が女手ひとつで岡田と姉を育てた。母は夜遅くまでレッスンをしていたこともあり、「これでご飯を食べて」とお金だけ置いて行くことも多く、小学生の岡田は「放っておかれている」と感じたこともあった。しかし同時に、母の決意のようなものが岡田には伝わっていた。
「母からは“男として責任を持って自分の人生を生きなさい。面倒を見ないから、将来、あなたに面倒を見てもらう気もない。勉強をしろとも言わないから、責任を持って生きなさい”って言われました」
決して放任ではない、シングルマザーとして生きていくには、幼くとも息子を信頼するしかなかったのだ。(中略)
「それで、自分がどういう大人になるのか、男になるのか、というのをずっと考えて生きてきたんです。育ててくれたのは母ですが、それでもぼくはずっと父の背中を追いかけていた」
それから岡田は学校の先生や知人男性をじっと観察するようになった。この人のここが好きだとか、嫌いだとか、この人のここを真似しようとか…。そういうふうに思って全部人の真似をしていたときに物足りなさを感じ、本の世界に没頭するようになった。特に歴史が好きで、黒田官兵衛もそのひとりだった。※女性セブン2014年1月23日号(引用元:NEWSポストセブン)

今の男らしい岡田の陰には孤独に戦ってきた子供時代があったからなのでしょうね。軍師官兵衛の岡田准一は立派な父親を演じています。

官兵衛画像2

岡田が本当の父親になったとしたら・・・?

父親と小学生の頃に別れた岡田ですが日刊スポーツのインタビューではこう話しています。

自分の子供に『お父さんは20代のころ、とても格好良かったんだよ。輝いていたんだよ』と、言うような父親にはなりたくないんです。子供に向かって『お前がいるから、お父さんは今、幸せなんだ』と言える父親でいたい。昔でも未来でもなく、今が自分は一番幸せなんだと胸を張っていえる人間でいたい。自分がどうありたいかではなく、どう生きているのか。それでいいんだと。だから家族は絶対に作りたい。父親にもなりたいんです。(引用元:日刊スポーツ)

そして30代半ばになってから岡田は

「両親の離婚は小学2、3年の頃で、父親も覚えています。この年齢になると、おやじとおふくろの恋愛が続いているかだめになったかは、別にどうでもいい。でも、父親には変わりないので、元気で幸せに生きていてくれたらいいなと思う。どこかで会うことがあれば……。どういう顔をして会っていいのかわからないですけれど。」(引用元:YOMIURI ONLINE)

と話していました。岡田自身は母親にさえ今は年に一度会えるかどうかみたいですが、父親もきっとテレビで岡田を応援していると思います。

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